徳島すぎの育つ風土

徳島すぎの育つ風土

水の豊かなスギの産地・徳島

スギは、日本を代表する針葉樹であり、建築材料として最も親しまれている樹種の一つです。
「スギ」の由来は「まっすぐ」とも言われ、神社の境内などの巨木は御神木としての威厳を持っています。
一方、建築材料としてのスギは、色目の美しさ、加工のしやすさなどが特徴で、温かさと柔らかさを実感させるものです。

みつまた

 「徳島すぎ」とは1980年代からブランド化を図るために徳島県産のスギに付けられた商品名です。産学官で技術開発や販路開拓が行われ、全国に販売展開しています。

 では、どうして徳島の山にスギが植えられてきたのでしょうか。それは徳島県の風土や人々の生活と大きく関係しています。スギの天然林分布は、青森県から屋久島まで広い範囲でみられますが、徳島の風土とも相性が良いようです。徳島藩の時代には御林という藩有林があり、明治初年には那賀川流域の旧木頭村千本谷や旧相生町日野谷、勝浦川流域の勝浦町立川、上勝町殿川内などに広大な天然スギの美林が残っていたといいます。

 スギは水分を好む植物です。土壌水分ばかりでなく、空中湿度にも深くかかわり、霧が立つところで良く育つといわれています。本県の吉野川以南は土壌も肥沃で、特に剣山周辺は全国有数の多雨地域でもともとスギの適地が多かったようです。

 また、本県には中央・御荷鉾・仏像の三つの構造線が通り、そうした地質の影響から地すべり地帯が多いことで知られています。地すべり地帯は水を含みやすく、土地生産力が高いことから、昔から人々の生産の場として機能してきました。

 評論家で環境問題に詳しい富山和子氏は著書『水の文化史』で、川の水や山の地すべりと共存してきた日本人のしたたかさを、地すべり地帯の文化とし、水は豊かで米が実り、斜面にスギが植えられたと表現しています。

 ちなみに那賀川上流は木頭林業地帯と呼ばれ、明治以降、全国屈指の林業地としてスギが利用されてきました。木頭周辺は傾斜が急で険しい山岳地帯で農耕地が少ないため、昔は焼き畑農業が行われていました。アワ、ヒエ、ミツマタなどが耕作され、焼き畑跡にスギが植えられたのです。

 さらに吉野川流域の美馬、三好などでは広葉樹による木炭の生産が盛んでした。その伐採跡地にはミツマタやタバコが栽培され、最後にスギを植えるという林地利用が進みました。水を好むミツマタはスギと相性が良く、こうした地域でもスギの植林地が拡大していったのです。

 このように、徳島県の温暖多雨の気候と地質から、スギの適地が多かったことに加え、人々の生活や生産活動が関連し、スギ植林地が拡大してきたのだと考えられています。

ランドサットの画像
ランドサットの画像
徳島県の地質構造図
年間降水量分布図
  • 吉野川北岸域では、乾性褐色森林土壌(Bb)が分布し、吉野川南岸地域や那賀・海部川流域(一部海岸線を除く)では、地味肥沃で林木の生育に適した適潤性褐色森林土壌(Bd)が広く分布する。
  • 吉野川流域内の構造線に沿う地域には地すべり地帯が多く密集している。地すべり地帯の土地の生産力は高いといわれるが、農耕や植林など、人々の生産の場ともなってきた。とくに吉野川流域の山間部に集落が多く点在するのは、このような地質構造によると考えられる。
  • 旧上那賀町海川の日雨量1,317ミリ(2004.8.1)は国内最高記録となっている。